京都八坂神社に代表される祇園祭りは全国各地7月の盆の季節に行われます。
日本三大祭り(大阪天神祭・東京神田祭・京都祇園祭)の一つに数えられ、京都の歴史と共に歩んできた伝統を誇る祭りであります。
清和天皇(第56代)の貞観年間(859年から876年)の時代に悪疫・悪霊の退散祈願として「御霊会」を行い貞観5年(863年)5月20日(新暦6月14日・葵未三碧年・戌午一白月)疫病鎮圧の為に神泉苑で行ったのが御霊会の始まりであります。
この時、御霊として祀られましたのは崇道天皇(早良親王)伊予親王、同親王の母、藤原吉子・橘逸勢・文室宮田麻呂等で、いずれも政変で無念の涙をのみ悲業の死を遂げた人達であります。
京都や京幾内には流行性感冒が猛威を振るい皇族や大納言や貴族らも羅災し、死亡者が相次いだのです。その後も怨霊を鎮める事が出来ませんでした。御霊会は国家的行事として行われる事になりました。
869年(貞観11年)に牛頭天王の威力を持って病魔を退散させようと全国66の国の数に応じた鉾を作り、祇園社(八坂神社)で御霊会を催したことにより今の祇園祭の始まりであります。
今の八坂神社は明治4年祇園社から名称が変わり本殿の祭神は牛頭天王から素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛稲田姫(東御座)・八柱子神(西御座)等、含め13神祭祀されております。
神社(祇園社)の創設は諸説あり、斉明天皇2年新羅国牛頭山に在所せる牛頭天王を八坂郷に祀ると言う説、清和天皇貞観10年(868年)に円如が播州広峰より移した説、朱雀天皇の承平4年に修行僧祇園天神堂建立による説等ありますがはっきりしません。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は八岐大蛇の伝説があり、治水の神とされ稲の神農業の守護神として崇められ、山林の神としてまた「八重立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣造るその八重垣を」(古事記)と日本で始めて和歌を作り和歌と恋の成就の神として現在諸願の鎮座になっております。
祇園祭りは応仁の乱以降、町方衆の手で豪華な山車や鉾が作られ、全長26メートルに及ぶ絢爛な山鉾が見られ29日間に亘って様々な祭事が行われ7月16日の「宵山(よいやま)」翌17日の「山鉾巡行」が有名であります。
「宵山」はすべての山鉾に提灯を灯して宵闇の中、華やかな姿を浮かびあがらせる風情ある行事です。通りに面した家では家宝の屏風を披露します。山鉾巡行は全山鉾が集合し稚児を先頭に疫病邪悪を祓う。長刀鉾で御霊会の性格伝承が伺えます。(長刀鉾は刃先が御所と八坂神社に向かないように取り付けられています)。各地の祇園祭りも京都の祇園祭り踏襲です。
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