自分から求めなくても、めぐり合わせで自然とそうなるものが「命」であると言います。したがって一度「命」に目覚めると、人は自分の命は、他に一人として同じものがない唯一絶対のものであることを知ります。
人の人生や一生は大変貴重なめぐり合いや出会いの繰り返しである訳です。命に従って精一杯生きようと言う気持ちから、一期一会の支柱が生まれてくるのであります。
そして自然にめぐり合う状態、自然に出会う状態を、最大限に活かして行動するか、だらだらした無気力なる行動で行くかは、自分の心次第であり、心次第によって大きく命が開くか流されて行くかは、真に「命はわれより作(な)す」と言う決意があるかどうかにあるのです。
自然にめぐり合わされる事や、出会いを知ることを「知命」と言います。そして知命を知って「命はわれより作(な)す」事を「立命」と言います。
自然やめぐり合わせや出会いによって「命」が成立するものであるならば、良きめぐり合わせや出会いをもたらす背景があり、その根元が存在するのであります。
天とは「今」自分の置かれているこの「一瞬一瞬の時」であり、その時を大事に大切に尽力して行く積み重ねであり、一瞬一瞬は精神作用(心の根元)・身体作用(肉体行動)・行動作用(実践)と成立して行くのであります。「一日一生」であります。
祐気開運法(祐気とり)の基はこの一瞬一瞬の精神作用を良いめぐり出会いへと導く実践学であります。
運とは「めぐり」のことであり、「輪廻(りんね)」のことであります。今の置かれている状況は先祖から親へ、そして孫へと継承されている流れの中での「今」と言う事であり、自分だけ切り離された存在の今ではないのです。
良かれ悪しかれ一族の吉凶禍福と言うものは、先祖さんたちの功徳すなわち惜福の大小多少によって左右されて来るものであります。
自然界は根が10センチ伸びると枝も10センチ伸びると言います。先祖にあたる10センチの功徳や惜福が枝と言う子孫を伸ばし繁茂へと進展させてくれます。
今と言う自分にとって根への報恩と感謝と言う努力によって根を伸ばすことが、子孫繁栄をもたらす根元であり、それが自然界の理法であります。
そうした輪廻の中でしっかりとした信念を持って、今と言う一瞬・一日・一刻に最善を尽くして行動することが「立命」の出発であります。