前回(鬼門方位の事象NO1)からの続きです。
天海僧上は鬼門除けとして上野の寛永寺を建立し、もうひとつ水戸に(江戸より東北方位の表鬼門)に徳川幕府の副将軍を配置しました。
そして水戸徳川家を副将軍として、丑寅の鬼門方位から将軍就任を出さぬように永代副将軍として戒めたのです。
丑寅は八白で「止まる・変化変革」の方位であり、徳川幕府260余年歴代15代目にして徳川慶喜が水戸家出身と言うめぐり合わせとなり、新しい明治へと移行することになります。結果として徳川幕府は15代で終わりました。
丑寅の方位には「変化変革」の方位であり、そして徳川260余年の崩壊はこの丑寅方位から始まりました。
家康の孫にあたる徳川光圀(水戸の黄門様)は「水戸学」と言われる基盤の「大日本史」を編集し尊皇思想を芽生えさせたことにあります。
幕末期、新しい改革の芽は水戸藩の尊皇攘夷(そんのうじょうい・君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である)を産み出しそれが薩摩・長州へと広がって行きました。
慶喜の生き方が「明治」の時代の表の発展に隠れてはおりますが、裏の支えも重要です。「勝者は時代や歴史を作り、敗者は文化伝統を作る」のです。
世の中に役立つ役割を知って、生きる生き方もある事を慶喜の生涯を見ますと理解出来ます。
丑寅の持つ重要性は日本の歴史のみにとどまらず世界史の中でも見る事が出来ます。
@日本が太平洋戦争で戦った相手国は米国と言う鬼門方位です。そして敗戦国となりました。
A第二次世界大戦で常勝国のドイツ軍はモスクワ(鬼門方位)侵攻で敗退となり崩壊する。その後50年近く国が分断されたが、ソ連の崩壊で東西ドイツが併合されます。
B第二次世界大戦のフランスはドイツが鬼門方位で一時フランス国はドイツ軍によって侵略制圧された。
Cチェコスロバキアにとってもソ連(現在ロシア)は鬼門方位であり、自由化運動が弾圧された経緯があります。
Dエジプトにとってイスラエルが鬼門方位であり中東戦争は何度なく繰り返されています。
Eイスラエルにとっての鬼門はシリアです。
Fパキスタンにとっての鬼門はインドです。
G東南アジアにとっての鬼門は日本です。
注意として国と国の方位関係を見る時は首都と首都で判断します。
現在においてもこの鬼門方位の関係は凶作用が多く起きています。その為戦争やいざこざが絶えません。
2019年03月11日
鬼門方位の事象NO2
posted by ひろろ at 06:58| 占い・気学
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