陰陽思想と五行思想とは、もともとは別々に古代中国に成立した思想であります。陰陽思想の方は老子や荘子などの「道教(家)」の考え方の中に取り入れられ、宇宙生成の原理として思想的地位を確立しました。
陰陽思想は万物の構成を陰陽二気の融合と見ることは、すなわち万物を陰陽に二大別することであります。森羅万象を「能動的・昴進的」状態を蔵している。
「陽」と相対的に「受動的・沈静的」状態を蔵している。「陰」との二つに捉えて定義しております。
陽は男・剛・昼・日・父等
陰は女・柔・夜・月・母等
に当てることが出来ます。
陰陽の消長・協調を説く場合には陰と陽を裏から表に、下から上に、内から外に、そしてまた反対方向に循環することによって世の中全体の平衡が保たれているという認識が生じるのです。
男と女と言う人間(小宇宙と言う)の構造や動きと離れるものではないと言えます。こうした人間と自然界との一体感が陰陽思想の基盤です。
一方の五行思想は「儒教(家)」を中心とする思想に取り入れられて発展して来ました。
この二つの思想を結びつけたのは、戦国時代末期・紀元前三世紀半の思想家「鄒衍 (すうえん)」であり、宇宙に陰陽と五行の気が共に存在し、それらが自然及び人事現象に於いて多大なる影響を与えて吉凶禍福・輪廻転生を生じていると捉えて陰陽五行説の体系化を行いました。
そしてそれまでの儒学の学説を超える陰陽五行説に基づく自然哲学が創唱されたのです。さらに陰陽五行思想を確立へと導いたのは前漢の思想家「董仲舒( とうちゅうじょ)」であり、彼が陰陽五行説を中心思想の一つとしていたことは「漢書」の「五行志」によって知られているのです。
陰陽説と五行説との結びつきによる陰陽五行思想の成立に至った背景には「天」を重んずる道家、「人」を重んずる儒家との思想的折衷( セッチュウ)が陰陽家によって図られたこともありますが、自然現象の四季のめぐりが陰陽二気の消長による寒暖の移り変わりと五行相生の原理と関係づけて説明されることが、陰陽五行思想が社会的に認められことになり流行流布して行く根幹にあったと考えられます。